「もう少し自分に自信を持ちなさい」
「あなたは既に十分のものを持っている!って認めなさい」
「いつまでも自分なんて~って思うのをやめなさい」
これらの言葉、昔からよく言われるんです。
ですが、会社の同期や親しい友人たちからは、
「のりこみたいに自信を持つことはできない」
「のりこはどんどん新しい学びをして実践しているね」
「めちゃくちゃポジティブだね」
と真逆のことを言われます笑
なぜなのでしょう?
この1年ほど、もしかしたらもっと長い時間、自分を受け入れられていないのか?自分に自信を持っていないのか?私は”自分なんて、、”と思っているのか?と自分に問いかけていました。
自己肯定感を高く持つ(自分を受け入れる、自分を信じる)ことはとても大切なことです。
自分を受け入れることで、自分の能力や行動・働き方等に自信を持ち、結果として仕事でもプライベートでも自分の力をしっかり発揮することができます。
自分を受け入れることができれば、長所・短所、強み・弱みも受け止めて、自分に足らないことは他で補う(他の人に助けてもらう、自分の得意な他の能力を活用する)ことができます。
そもそも自信とは何でしょう。
自分を信じること。
私は自分を信じています。
自分で選んだ道、決断。
つらかったこと・悲しかったことに対しても、先に繋がる何かが必ずあると信じています。
運命的なものとも言えるでしょうか。
あの時のあの決断は失敗だったのではないか?とふと思うことがあるとして、タイムマシンで当時の私に戻れたとしても、結局私は同じ選択をする自信があるのです。経験して、学んで、成長した”今”の私から見ると間違いだったと思う選択でも、”当時”の私は、私が考えられる限りの可能性を鑑みて最良の、最善の選択をしたと自信をもって言えるのです。
では、なぜ一部の人からは、私は自己肯定感が低い(自分に自信がない、ありのままの自分を肯定する・受け入れることができない、その感覚が低い)と言われてしまうのでしょうか。
答えは高みを目指すことが習慣化していること。
もしくは、自分が納得するまで理解を深めることが必要なこと。
いわゆる最上志向が強い傾向にあるということです。
もちろんストレングスファインダー®でも上位資質に入っている資質です。
決して完璧主義ではないですが、ここまで理解を深めたい、ここまでできるようになりたい、とゴールを設定して、それがクリアできたときに、すぐにその先の少し離れた地点をゴールに設定すること。
自分が納得するまで、そのゴール地点を伸ばしていくこと。
よりよいもの、優れたものを追求していくこと。
でも、決してエンドレスに道のりが伸び続けるわけではなくて、ある時、ちゃんと着地点が見つかるんです。
それは、自信が確信に変わる瞬間です。
自分の目標達成や、学んで得た知識、経験から得たフィードバックと新たな学び、こういうものが重なって自信が確信に変わっていきます。
自分が信じる自分の能力に、自分の能力以外に信じる客観的な事柄が加わって、確信となる。
確信は決して完璧であることではありません。
確信を得ることによって、より困難な局面にも挑戦し、対応し、乗り越えることができるのです。
自信が確認に変わるまでの間、周りの人には私が停滞していたり、負のループに陥っていたり見えるのかもしれません。
確かに、そういう瞬間もあると思います。
自分から見ても他人から見ても、いつも順調に行っている、という状況はなかなかないことだと思います。
それでも、自分が最終目的地を失わなければ、ちゃんと目指す方向に前進できるはずです。
一人ひとり、歩みの速度は違っていい。自分のペースで、一歩ずつ、半歩でも、休み休みでも、前に進むことができたら、それでいいと思います。
それがいいと思います。
そして、それが大事だと思います。